経済12月号で「子どもの貧困と格差」が特集されています。中でも「学びと希望を失う貧困」と題した、白鳥勲さいたま教育文化研究所事務局長による、高校生の貧困問題レポートに胸が痛くなりました。
「救急車に乗るのを拒む生徒」として「登校途中で交通事故に遭い、ケガをしているのに救急車が来ても乗ることを拒む生徒がおり、学校に連絡が入りました」と書き出し、担任と養護教諭が事故現場に駆けつけ「どうして救急車に乗らないの?」と聞くと「保険証がない」と言う。父子家庭で生活に困窮し、健康保険料を払えず、学費は自分で稼いだアルバイト代から払っていた。交通事故の場合は、保険証は必要ないことを説明すると、やっと救急車に乗ってくれた、と書いています。
保健室が風邪やケガで病院にいけない子どもの「避難所」になっている学校が増えてきた。健康診断後の受診報告書を求め「病院へ行きなよ」という言葉がとても重く簡単には言えないーーこうした状況が「学力困難校」に生まれている。そこでは全校生徒の3分の1が就学援助を受け、母子家庭が多い。「困難校」で中退者が激増し、5割も中退者が出る高校が生まれている。そして8割が就職希望だが、正社員として仕事に就けるのは4割程度、あとは高校時代の延長でアルバイト生活ーー高校現場の実態を告発しています。
筆者は「政治の貧困が子どもたちの未来と希望を奪ってゆく。貧困は親や子どもの中にあるのでなく、冷たく不公正で、社会的弱者を排除する、この十数年で人為的につくられた社会構造にあることを、私は現場で実感した」と述べています。そして何が求められているか、として「社会からの大人からのあたたかい眼差し。公教育の学費無償化なしに貧困の連鎖はとめられない」「授業で分からなくなったら、分からないと言える環境、分かるためのステップを切り刻むスタッフの充実。少人数学級と『テスト競争に勝つための学習』をやめること」「仲間づくりの体験を豊かにする環境と機会をつくる。選別と孤立を子どもたちの世界に持ち込んだことが、絶え間ない焦りと不安を与えている」「信頼できる大人、真似したいと思う大人の存在。社会の理不尽さをただすために行動する大人が居ることが彼らの希望となる」と結んでいます。
特集の「病院に行けない子ども」で、芝田英昭立教大特任教授は、改正国保法が対象を中学生以下にして「短期保険証」が交付されるが、高校に進学した途端、資格証明書となり10割負担となるのは容認しがたい、と訴えています。中学卒業者のほとんどが高校進学し、生活保護世帯の高校就学費用が給付され、医療扶助は当然受けられることから、高校生も国保短期証交付対象とすべきだ、と主張し、民主党も08年度の法改正案提出時には救済すべき子どもに「高校生」を含めていた、と指摘しています。
「子どもの貧困」における「高校生の貧困問題」は、貧困からの救済拡大にとどまらない、貧困からの脱出、若年貧困層解消のキーポイントになっているのではないでしょうか。
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