中国との外交関係の動揺に続き、環太平洋戦略的経済連携協定(TPP)への参加検討で、与党内に大きな亀裂が走っています。新政権の外交は迷走状態です。
今回ハノイでの日中首相会談不成立の背景に、「尖閣列島は安保適用範囲」との日米外相会談への中国側の反発が指摘されています。「日米安保基軸」外交が領土問題解決に大きな困難をもたらしているのです。
「中国脅威論」に立ち、安保・集団的自衛権行使へ憲法九条改正を唱える前原外相の、尖閣列島問題での諸発言も中国側に反発を招いています。
外交では、主張と目標を明確にした一貫した行動が説得力を発揮するのではないでしょうか。その点で日本共産党が、戦前戦後一貫して、中国への侵略戦争及び単独講和(中国などを除いた講和)とセットの日米軍事同盟(安保条約)に反対したことは重要です。尖閣列島の日本領有の正当性を堂々と主張して、相手から安全保障上の反発を受ける余地がないからです。
実は私自身が日本共産党を評価し、入党した原点がこの「一貫性」にあります。戦前、私たちは「鬼畜米英」と教えられました。ところが、戦争に負けたら、アメリカ占領軍さまさま、の風潮が起きました。子ども心にも「おかしい」と思ったものです。
戦前には、米英・中国とも仲良くし戦争をしないように努力し、戦後アメリカ占領軍の撤退と完全独立を求め、対等平等の日米関係をめざす日本共産党の行動は、ぴったりとはまりました。
私の父は、戦後1948年に42歳の若さで、結核により亡くなりました。戦中、外国航路の商船機関長をしていて、郷里倉敷に帰ったとき「日本は負ける」と言っていた、と近所の人から聞いたことがあります。どういう思想を持っていたかは分かりませんが、仕事上、世界情勢を客観的に見ることができていたのだと思います。しかし、日本ファシズムは、客観視すら許さず、「負ける」という言葉を「危険思想」と決め付けていたのです。父は勇気があったのかな、とも思ってみたりしています。