革新懇総会で中塚明奈良女大名誉教授の記念講演「朝鮮半島と日本の過去と現在」は、大きな示唆を与えるものでした。
日本帝国海軍が朝鮮半島で最初の侵略行動を行った江華島事件(1875年明治8年)から、日清・日露戦争を経て韓国併合(1910年明治43年)まで35年。それから35年後に大日本帝国が大敗北した、と切り出し、日本人の朝鮮半島についての知識について、その問題点をズバリ指摘しました。それを端的に表しているのが司馬遼太郎「坂の上の雲」だ、と言います。司馬は、①日本が朝鮮に対して行った侵略の事実②朝鮮人が日本の侵略に対してどう動いたか、を一切書かないで、欧米列強という「大人の国」に囲まれた「少年の国の日本、栄光の明治」と書くために、秋山兄弟と正岡子規の少青年時代とダブらせて展開している、と指摘します。
明治初期、尊皇攘夷派が唱えた「征韓論」(吉田松陰、西郷隆盛、板垣退助等)への反対論(田山正中等)が紹介されています。朝鮮半島を占領すれば周りは全部敵となり、中国、ロシアからの防衛線と言っても、そんなことはできるはずがない、との主張です。韓国併合は韓国のためだった、との擁護論に対し、日本の、欧米列強からの不平等条約解消が韓国併合の翌年だったという歴史を忘れている、と告発しています。
講演後質疑応答が行われ、在日朝鮮人2世という人が「日本は、朝鮮人の強制連行、強制労働などについての戦後処理をキチンとやっていない。ドイツと大違いだ。今同じように税金を払っているのに、差別されるのは不当だ」と強い調子で抗議の声を上げました。
確かに、戦争責任、人権抑圧問題などの戦後処理について、各種裁判が争われているように、まだ不十分です。日本政府は、これらの責任を自ら明らかにし、関係諸国、被害を与えた人々に謝罪し賠償することが求められます。
日本が敗戦で、アメリカなど所謂西側諸国だけとの単独講和で全面講和条約を結ばず、「日米安保」という軍事同盟を結んだことが、戦後処理を自主的に行うことを妨げました。一つは沖縄返還という戦後処理の大問題です。単独講和「サンフランシスコ」条約第3条で「沖縄施政権の放棄」をうたいましたが、祖国復帰運動と国民世論で条約の拘束を打ち破り、対米交渉で勝ち取ったものです。
しかし、日本本土の米軍基地縮小の代わりに沖縄基地が増強されました。今や最も危険な基地、普天間基地撤去を、しかも移設先探しでなく無条件撤去を、が圧倒的県民世論になっています。さらに「無条件撤去が受け入れられないなら、すべての沖縄基地撤去の運動を」の声が高まってきました。基地を無くし、安保を解消する、という最大の戦後処理が動き出したのです。
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