15日に開かれた日本共産党倉敷地区委員会主催の県政学習会での、武田英夫党県議団長の報告は、ズバリと本質を指摘し、面白く、有益でした。
倉敷市民にとって県政は、岡山でいらないとされたチボリの押し付け、余った苫田ダムの水押し付けなど、「要らないものを押し付ける県政」と映っているのではないか、と武田県議は指摘します。この県の押し付けに対して、市民の立場、地方自治の立場でキッパリ反対を貫いたのが日本共産党です。
チボリの押し付けは、県知事追随の倉敷市長誕生により、市政が捻じ曲げられ、強引に実施されました。しかし、苫田ダムの水押し付けについて倉敷市は、これをキッパリ拒否しました。その経過を倉敷市議会議事録で追ってみました。
1984年4月9日市議会全員協議会で「現時点では苫田ダムには参画しない。しかし、水が不足する場合も予測されるので、将来的には企業団に参画する意志がある」と決議しました。この決議に基づいて、滝沢義夫市長は県に不参加回答をしました。
1991年3月議会で大本芳子議員が「滝沢市政は、あの長野知事の、苫田ダムの水を買え、といった倉敷市への押し付けに、毅然としてこれを断った」と評価しました。同年12月議会で小山博通議員は「岡山県広域水道企業団で苫田ダムの水を買わそうとしている」と警告を発しています。
1994年の大渇水で柳井原ダム建設問題が浮上してきました。この年の9月議会で大本議員は「高梁川の水利用率は42%と、吉井川(16.8%)旭川(23.8%)に比べ高く、しかも工業用水比率が高梁川31.7%、吉井川(8.6%)旭川(15.9%)で、開発は限界に来ており」「福岡市がつくった、水利権の付かない『経年貯留型ダム』『遊水地』でなければ、渇水時に市民の生活用水には使えない」と指摘し、柳井原ダム建設促進の意見を批判しました。
なお柳井原ダム建設については、船穂町議会で田儀公夫議員が反対し、倉敷市議会でも日本共産党市議団が「過大な水需要にもとづくムダな公共事業」と厳しく批判し、建設に反対してきました。そして、2002年岡山県による、突然の柳井原ダム計画中止発表により終焉しました。
1996年6月議会で小山博通議員は「県が各市町村建設課に対して、苫田ダム早期完成を国に要望するよう連絡文書を送ってきた」ことをとりあげ、苫田ダムに参画しないことを市長に求めました。
1998年9月議会で田辺昭夫議員が再質問で「倉敷市が遠く離れた苫田ダムの水を買わなければならない事情も理由も無い。広域企業団には入らないと、毅然とした態度を求める」と鋭く迫り、「1984年全員協議会の結論に基づき、現時点での参画は困難との意思表示を行ってきている。当面はこの方針でいく」との市長答弁を出させ、苫田ダムの水問題は決着しました。
県による押し付けとそれに追随した倉敷市政によって、何百億円もの税金ムダ遣いに終わった倉敷チボリのことは、県政、そして倉敷市政の大きな反省事項です。また、苫田ダムの余剰水(年6億円赤字)問題では、県追随を拒否した倉敷市政がスポットライトを浴びます。
そこには、権力で何でも住民に押し付ける政治を、住民の声をもとに打ち破る闘いを進める政党があります。住民自治、地方自治の守り手として頑張る日本共産党です。
コメント
コメントフィードを購読すればディスカッションを追いかけることができます。