6日午後10時からの、NHK日米市民討論「広島発 核のない未来へ」を興味深く見ました。
出席した米国ニューヨーク市民の数人が「核兵器はなくならない」と言い、「ならず者国家、テロリストの手に核兵器が渡った場合、米国は核兵器でそれを抑止する」と口々に言っていました。これに対して、日本側の市民は「核兵器は無くすことが出来る」と全員の答えが一致しています。テロに対しても、「テロを生む温床が問題」「核兵器を無くすことが核テロを無くす道」という意見です。
ヒロシマ・ナガサキ被爆写真を全米各地で巡回展示しているので、その写真を米国市民に見せたところ「米国にも戦死者がいる」「感情に訴えるな」「戦争には色んな事情がある」など、アメリカの原爆投下への責任回避の意見が出されました。これに対して、日本側は「アメリカを憎んではいない」「他の人が二度と悲惨な体験をしないよう願う立場からのものだ」と指摘する声が相次ぎました。
米国市民及び元レーガン政権高官からの「核の傘で日本は守られている」「アメリカの核抑止力で平和が保たれ、核兵器拡散が平和を脅かしている」と言う発言には、日本側から「アメリカは横暴だ」と厳しい批判が巻き起こりました。
草の根の市民運動が核廃絶を実現する道、との主張は、日本側では多数の声ですが、米国市民の中には「米国民の安全を守るのが政府の責任」「投票で大統領を選ぶことが大事」などと、巨大軍事力によって、自分たちだけ安全でいたい、という心情が伝わってきました。
日本で「核のない未来へ」の市民討論をしたらどうなるでしょうか。「核を無くすというのは原子力発電を否定するもの」という人たちが出てくるでしょう。原子力発電の生成物から原爆を作ることが出来、それをしなければ核廃棄物として処分しなければならない。そこで核廃棄物を地中深く埋める「地層処分」政策を電力会社などが進めています。しかし、地殻変動がある地球で、絶対安全とは言えません。そもそも核兵器を作ることにつながる原子力発電は、核の平和利用技術として未熟であり、核廃絶の立場で問題となってくることは避けられません。
コメント