来年2月末の土地明け渡し期限に向けて、いまチボリ施設の解体作業が進められています。アンデルセンホールなどチボリを象徴する県有施設についても、6月17日撤去工事入札公告が行われました。倉敷市が「ポストチボリ」と称してつくった「倉敷用水緑道公園案」の範囲内にある施設「ミュージックパビリオン」「子どもの遊び場」などは倉敷市に譲渡する、と報じられています。
しかし、チボリ問題は県や市の政治の中で、総括がキチンとされたでしょうか。
「県民の目線でチボリを検証するシンポジューム」(4月11日開催)では、「チボリはレジャーランドであり、県や市が税金投入して係わったことは間違いだった」という総括がなされました。同時に、市民運動、選挙闘争、裁判闘争などあらゆる方法でチボリの不当性を追及し、遂に閉園に追い込んだ“草の根のたたかい”の勝利として確認されました。
5月21日倉敷芸科大での講義で、坂口正行チボリ・ジャパン社長が「やってはならない戦争を始めてしまい、多くの戦費を遣い」と喩えた税金のムダ遣いの中に、岡山チボリ時代の使途不明金55億円(毎日新聞小林一彦記者が「55億円の行方、いまも不明」と指摘)があります。
そもそもチボリ誘致は、故長野士郎知事、伊原木一衛天満屋社長(当時)など県政財界トップの私的懇談会「如月会」が、岡山市民や市議会に知らせずに行ったものです。不明瞭なカネの流れが岡山市議会百条委員会で追及され、岡山市民は市長選挙で「如月会」メンバーの市長を落選させ、チボリを拒否したのです。
知事が「岡山でダメなら倉敷で」として飽くまでチボリ誘致に拘ったのは、もしも中止になれば、不明金などが表に出て知事が政治生命を失いかねない、こうしたうわさが当時語られていました。
チボリは「公園」と名付けることで「公共性」を偽装しましたが、実態は「権力維持」のための「利権がらみのレジャーランド事業」であった、それを象徴するのが55億円の不明金ではないかと思います。
チボリ問題の一番の総括は「市民の声を聞く知事や市長を選ぶこと」ではないでしょうか。そして、知事や市長の権力が利権に使われないよう、市民監視が可能な、ガラス張り政治を実現することではないでしょうか。
コメント
コメントフィードを購読すればディスカッションを追いかけることができます。