麻生自公政権は「景気は底を打った」と宣言しています。しかし、国民にその実感はあるでしょうか。
倉敷地区くらし・雇用相談事務所(新田1294)には、派遣切りで住まいを失い収入源を断たれた労働者が今も次々と相談に来られます。派遣切り後の失業給付も終了し、緊急入居したアパートも期限切れで追い出される。生活費が足りず治療費も払えないのでサラ金に手を出し多重債務に陥る。こうした「どん底状態」に置かれた労働者が増えています。
ヨーロッパでは、必要な人の7~9割が生活保護を受け、デンマークでは最長4年間の失業給付及び職業訓練が受けられ、4年で就職できなければ失業給付と同額の社会給付に移行する、など失業しても安心して生活できます。日本でも、若者へも生活保護が支給され出されましたが、必要な人の2割を越えていません。この期失業保険などの改善がなされてきましたが最長360日です。ハローワークに行っても正規社員の求人は極端に少ない。臨時職はあっても、毎日仕事があるのでなく、手取り給料は生活費に足りない。職業訓練の受け皿が少ない、など失業者は救われていません。
麻生自公政権の「景気底打ち宣言」は、輸出と生産等々のグラフが上を向き始めたことを根拠にしていますが、上記のように、労働者の雇用が改善され、国民の家計が元気になったわけではありません。
2002年2月から07年10月までの「戦後最長の景気拡大局面」のとき、輸出大企業などはバブル期の2倍近い儲けを上げました。しかしそれは、正規社員を非正規に置き換え、賃金や部品単価を抑え、労働者や下請け企業を踏み台にして儲けたものです。そして今回米国を震源とする「墜落景気」に対しては、「非正規社員切り」「仕事切り」を競い、労働者・下請け企業を踏み台にして「景気回復」を図ろうとしているのです。
マルクスは、経済恐慌を「利潤第一主義の資本主義」の「死に至る病」だと喝破しました。①そもそも市場経済には需要と供給を挫折させる危険が内在する(物々交換でなく、貨幣が介在するから)。②資本は生産過程で労働力を搾取し、そのため労働者の購買力は抑えられる。この生産と消費の矛盾に加え、産業資本が現実の需要でなく「架空の需要」で生産拡大に走る(生産物が直接労働者に購買・消費されるのでなく、商業資本が介在して生産拡大資金がすばやく回収されるから)。③そこに金融機関による莫大な資金投入で生産と「架空の需要」との距離が極限まで拡大され(「バブル」)、それらが「世界市場」で展開されれば、「バブル」が「見えなく」なり、生産と消費の矛盾が爆発し「恐慌」になる、と言う理論です。
「恐慌」は資本主義180年間に何回も繰り返されてきました。資本主義を乗り越えた合理的な社会システム(社会主義・共産主義と呼ぶ)になるまで続く「死に至る病」だとマルクスは言ったのです。
今回の金融危機、経済危機は、マルクスの言う「恐慌」です。それを克服する経済対策で、大企業・大資本優先か、労働者・国民優先か、が鋭く問われているのです。労働者の生活と権利を守る闘いを進め、労働者・国民優先の景気対策を勝ち取ることで、合理的な社会システムへの道筋が見えてくると思います。
自公政権は、バラマキ「景気対策」と実感無き「景気底打ち宣言」で総選挙を勝ち抜こうとしています。麻生首相は、都議選第一声で「定額給付金覚えている?」「エコポイント始めた。売れているだろ?買った?」などと、公金を使った選挙買収まがいの演説をしましたが、国民にはとっくに見抜かれています。一方、民主党は政権公約で、比例定数を80削り、自民・民主二大政党で67%の得票で95%の議席を占有し、共産党も、公明党も、社民党も、国民新党もいらない、と言う国会を狙っています。
労働者・国民の更なる苦難が続く道か、安心と希望の社会=ルールある経済社会への道か、が問われる選挙です。日本共産党の出番であり、負けられない闘いだと覚悟を決めて頑張ります。