「昔はよかった」という声が聞かれます。中学校を卒業したら「金の卵」と言われて就職。交通費・弁当支給で汽車に乗って就職先へ行き、給料をもらいながら技術を習い、安い寮費で生活し、給料は田舎の家族に仕送りしたーーこんな昔がありました。
農業でも、商店、町工場でも、50~60歳で跡継ぎに本業を任せ、「隠居」という慣わしがあります。仕事と人生の豊かな経験が尊ばれ、老後を悠々自適に過ごす「楽隠居」が出来たーーこんな昔があったのです。
今、大企業は大量生産し、大型店には商品が溢れるほど並べられていますが、庶民生活は少ない収入のやりくり大変で、安物買いに走っています。若者は失業か、低賃金または過労死寸前まで働き、高齢者は医療・介護の保険料と利用料負担に泣いています。モノが溢れるほどの生産拡大も、人々を幸せにはしていません。人間が大事にされていないのです。
子育て・教育についても「昔はよかった」と言われます。「ポストの数ほど保育所を」の運動が実り、働きながら子育てすることが出来ました。「教え子を戦場に送るな」のスローガン、教育の自由のもとで、教師は子どもの力を伸ばすことに打ち込み、親は「世間知らず」でも先生として尊敬する、こんな昔がありました。
しかし、今の学校は、政府・教育委員会管理のもとで、教師の自由は抑えられノルマを課されて、子どもの成長を待つゆとりは与えられません。教師は心身症・過労に陥り、子どもの間に陰湿ないじめが起き、「教室崩壊」と呼ばれる教育不能な状況も起きています。学校が人間を大事にするところでなくなているのではないでしょうか。
人間を大事にする企業、政府こそ必要です。そのような社会へ、若者、高齢者、子どもの声を集め運動を起こしましょう。
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