上巻に続く第3講「インターナショナル」(下)では、「1871年パリ・コミューン」から話が始まります。マルクスが『フランスにおける内乱』で、パリ・コミューンを「労働者階級の政府」と評価しました。「軍事機構については、人民の上に立つ常備軍はいらない。現にパリを防衛している国民軍のような『武装した人民』におきかえればよい」「これまでは官僚と言えば高給取りと決まっていたが、社会が必要とする仕事の一部をになう役目なのだから、労働者並みの賃金を原則にすべき」などの改革に注目するとともに、労働者階級が権力を握った場合の共通の原則とすべき教訓を引き出しています。しかし、国家機構の取り扱い方は、その国、その革命の特殊な条件によって大きく左右される問題であり、安易に一般化できないことをよく知っていたマルクスは「労働者階級は、できあいの国家機構をそのまま掌握して、自分自身の目的のために行使することはできない」と表現しました。
これをレーニンが誤解して、「できあいの国家機構」の破壊論だ、と読み、武力革命が革命の普遍的法則だと言う見地や、普通選挙権にもとづく議会制度まで破壊すべき国家機構に入れたりした、と著者は述べています。そのため、マルクス、エンゲルスの革命論を非常に狭い、現実の多様な状況に適応し得ないものに一面化させ、大きな誤解を後世に残す結果になった。マルクスの見解は「できあいの国家機構」の改造論だ、と指摘しています。
生活手段の個人所有、農民問題、土地の国有化問題など、インターナショナルでの様々な議論に対する、マルクス、エンゲルスの見解が展開され、それらが現代に通じることが明快に述べられています。しかし、「インターナショナルの8年間は、マルクス、エンゲルスの革命運動の中で大変重要な地位を占め、革命論の発展という面でも、深い内容を持っている」が「まとまった研究はあまり見当たらない」として、「私自身、こんどの講義の準備作業がはじめて」と述べて、研究を呼びかけています。
第4講では、「ドイツで普通選挙権が実施され、労働者党がはじめて選挙を本格的にたたかうとともに、議会に議席を得て、議会を人民と革命のために活用するという新しい条件を獲得した」として、1860年代から90年代にいたる、「多数者革命」の理論と実践が展開されます。
ビスマルク政権下のドイツ帝国議会で、労働者党(社会民主党)の果敢な選挙闘争、「社会主義者取締法」との闘いが、遂にビスマルクを退陣させ、弾圧法消滅を勝ち取ります。その後の選挙では、得票率23%に躍進し、軍備拡大予算を議会が否決するという快挙が行われます(しかし議会は解散され、改選後ブルジョア派が合同し、軍拡予算を可決)。このドラマチックな展開を、エンゲルスと共に体験するような叙述に胸が躍ります。
フランス労働党についてのマルクス、エンゲルスの関わり、イギリス、アメリカの運動など、「多数者革命」における各国の違いを、マルクス、エンゲルスがどう見ていたかは、興味深いところです。
第5講、「過渡期論と革命の世界的展望」--資本主義から社会主義・共産主義の社会に移行する過程の問題、及びロシアや東洋諸国など、遅れた経済諸関係を残していた国ぐにの社会変革と移行過程の問題について、著者は、マルクスの思想の中で新しい展開があった、その背景は何か、と問いかけ、探究していきます。これは、現代の世界、私たちに投げかけられている問題として共に探究する必要があると思います。
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