「倉敷駅ビル3階以上を撤去」の報は、市民に衝撃を与えています。1980年頃倉敷市は「20世紀最大の事業」と称して3つのビルによる駅前再開発を行いました。しかし、業務用ビルの需要は無く空き室だらけ、メインテナントの三越店が撤退。その跡に天満屋が移転出店しましたが、商店街を空洞化させただけで、駅周辺は寂れるばかりです。そこに駅ビル撤去が出て来て、大きな問題となっているのです。
倉敷市が近隣商業地域に用途変更したチボリ跡地にイトーヨーカ堂が来る、それに対抗して、同じく近隣商業地域に用途変更したイオンモール倉敷が2万7000㎡(120%)の店舗拡大を発表。大型店同士の客引き合戦で商店街の客を根こそぎ奪っていくのでしょうか。駅周辺はますます寂れます。大型店を規制するのでなく、ドンドン受け入れる、こんな倉敷市のやり方こそ問題です。
倉敷駅周辺はいま空き地だらけになっています。チボリ跡地が空き地。石見町・日吉町の第2区画整理は住民合意が無く、事業が5年延期され空き地のまま放置。倉敷駅東の区画整理は土地会社所有地などの仮換地だけで空き地のまま。最近、駅周辺住民の生活道路でもある「昭和宮前線」を封鎖しました。「生活・営業ができないようにし追い出そうとするのか」と住民から抗議の声が上がっています。これらはすべて倉敷市の事業です。「将来はこうなる」と夢のような絵柄を描きながら、住民を追い出し、税金を投入して「空き地」ばかりつくっている、倉敷市は「開発」と称して「まち壊し」をしている、こう言われても仕方がないのではないでしょうか。
かつて1950年代「イグサ刈り」で四国や県北から大勢出稼ぎ労働者が集まり、駅前に臨時職安ができた頃の商店街の活気を懐かしむ声を聞きました。倉敷は農業とその関連産業の隆盛で商店街が発達する農村型都市として発展してきました。
1960年代水島コンビナート誘致が行われました。しかし、雇用や地域経済に大きく貢献したのは建設時だけ。操業開始と共に合理化に次ぐ合理化で雇用は減少し、社宅や厚生施設も廃止され、今や地域経済への貢献は激減しています。また、自動車産業のように裾野の広いものは地域経済への貢献も大きい、と言われて来ましたが、経済危機を理由に大量の派遣切りを行い、社会問題を引き起こしました。大企業がため込み金ばかり増やし、労働者も地域経済も貧しいままにしておいて、どうして需要が出てくるのでしょうか。今後電気自動車が成長産業となるかどうかもまだ未知数。地域経済の主役である農林漁業、中小企業などの再生こそ求められています。
倉敷駅周辺の活性化・商店街の振興には、大型店の規制、農業の再生を含む地域経済活性化など、倉敷市の政策が問われています。住民の声を聞かずに強行し、税金のムダづかいになっている区画整理事業、県も推進をあきらめている鉄道高架事業などを見直し中止すること。かわって、住民が要求する、道路、地下道建設などに政策転換することが求められているのではないでしょうか。
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