JR倉敷駅の、3つのビルとデッキ、駅前広場は、1980年頃の駅前再開発によってつくられました。ビルの大きさに比べ、駅前広場が狭く、バス乗り場、タクシー乗り場、自家用車駐停車場が詰め込まれています。その上、団体バス停車場を、駅北だけでなく西ビル南側にも認めているため、市立駐車場の出口が塞がってしまうこともあります。また、JR倉敷駅の2階改札口を出た人や北デッキエレベーターから自由通路を通り南に来た人が、デッキから地上に降りるのにエレベーターがありません。(図参照)フル ページ FAX プリントをダウンロード
こうした問題点を解消し、便利で賑わいのある「倉敷駅前再整備」が求められています。ところが鉄道高架を推進してきた歴代市長は「鉄道高架に合わせて」と言っては「駅前再整備」を先送りしてきました。私も議会で度々質問し、中田市長時代にバス停エレベーター設置、古市市長時代に自由通路階段にバリアフリー通路が実現しました。
私は08年度議会において、福山駅で地下自家用車駐停車場が建設されようとしている例を挙げ、駅前広場の地下の再整備・活用を訴えたことがあります。狭い駅前広場は、バスやタクシー優先に使い、自家用車を入れようとすれば地下しかない、と考えたからです。しかし伊東市長は、鉄道高架優先で「駅前再整備」に「聞く耳持たず」の姿勢でした。
狭い駅南広場に対して、駅北のバス、タクシー乗り場、自家用車駐停車場はゆとりがあり、南北の連携が求められます。かつて、寿町「開かずの踏切」を地下道で南北につなぐ計画がありました。ところが「鉄道高架」のために地下道計画は凍結され、連携がうまく行かないのです。
また、倉敷駅東土地区画整理区域に、市の駐車場用地が計画されています。しかしこれは、主に天満屋の客用に使われる予定で、狭い駅前広場を補完する構想は全くありません。そして鉄道高架を前提にした土地利用になっているので、「開かずの踏切」のままです。
再開発ビルである東ビルが、三越撤退による3年間空きビル状態を、天満屋移転で解消したと思ったら、こんどはJRが駅ビルの3階以上を破壊・撤去すると言い出しました。三越といい、JRといい、大企業は市の再開発にのって利益を上げ、利益が出なくなったと言っては、ビルを放棄する、これは身勝手ではないでしょうか。一方、便利で賑わいのある駅前再整備を放置・先送りしてきた歴代市長の政治姿勢(鉄道高架優先)にも問題があると考えます。
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