かつて1961年の岡山国体開催に合わせ、三木行治知事が「百万都市構想」と称する、岡山市・倉敷市・児島市を中心とした大合併構想をぶち上げました。山陽新聞社は、推進の旗頭を努め、「百万都市構想反対」の旗を掲げた同労組を徹底的に弾圧しましたが、首切り等反対闘争により労組が勝利しました。県議会は推進一色で、岡山市議会、倉敷市議会は多数決で賛成しましたが、寺田熊雄岡山市長、高橋勇雄倉敷市長が反対し、時間切れで大合併不成立となりました。
この大合併は、第1次全国総合開発計画を策定し「地域開発」を進める政府から、「新産業都市指定」を受け、6大都市に次ぐ大都市を構想したものでした。戦争中三菱航空機製作所建設のために進められた水島灘埋め立てを大規模化し、鉄鋼・石油コンビナートを誘致して「農業県から工業県へ」脱皮を目指すものでした。
大合併は失敗しましたが、「新産都市」に指定され、鉄鋼・石油コンビナートに、三菱自動車工業が加わり、所謂「水島コンビナート」は完成しました。岡山県による倉敷市などへの押し付け第1号が「新産都市・コンビナート建設」であったと言えます。
「水島コンビナート」が、地域経済にどんな影響をもたらしたか、今後どうなるか、検証と産業政策が求められます。また、国際重要港湾と称して、大企業埠頭への航路浚渫を国・県が進め、浚渫残土捨て場の玉島人工島に企業誘致を県・市が進めています。輸出偏重の産業政策で大丈夫なのか、しっかり見極めが必要です。
かつて地域経済が農業で(イグサが典型)活気づき、児島では繊維・縫製産業のメッカでした。そこでは、高齢者や子どもまで働き手となれる、内職(農家の夜なべ仕事を含む)など多様な仕事がありました。
これに対してコンビナートは、人減らし合理化、パイプライン網を使った製品流通、労働者融通し合い、資本提携と、収益構造の構築を図り、働き口はドンドン減っています。
アジア需要に偏重した企業戦略を応援するのでなく、内需拡大の成長戦略及び中小企業、農林漁業支援こそ県の産業政策とすべきではないでしょうか。