15年前の未曾有の災害、阪神大震災の時、自民党などと組んだ旧社会党の村山富市氏が首相でした。村山内閣は、10年間630兆円もの「アメリカ言いなり公共投資基本計画」、65歳支給への年金改悪、消費税増税などを決め、国民には犠牲を押し付け、大企業・ゼネコンに奉仕する、自民党政治の全面的執行者となりました。
これに対して日本共産党は、バブル経済の崩壊と不況の長期化の中で、1994年「日本経済への提言」を発表し、第20回大会で「自民党政治からの3つの転換」(①日米軍事同盟をやめ自主独立の日本へ②大企業優先から国民生活優先の経済発展へ③金権腐敗政治を一掃し「国民が主人公」の日本へ)を打ち出しました。
1995年4月一斉地方選挙で自民党を初めて上回り地方議員数第一党になり、1995年7月参院選では、比例票9.5%で5議席、選挙区で3議席を獲得し、9年ぶりに国政選挙で前進しました。
政権を投げ出した村山内閣に代わった自民党橋本内閣は、数十兆円もの銀行支援を行う住専問題処理法を強行し、消費税5%への値上げ、医療・福祉・教育切捨ての「財政構造改革」を進めました。日本共産党は、これらに反対し、国民生活向上と社会保障充実を進めながら財政の民主的再建をはかる「財政再建10カ年計画」を掲げ、1996年総選挙を闘いました。結果は、自民党が過半数を大きく割り込み、党名変更した社民党も激減し、日本共産党が国政選挙史上最高の得票率13.08%を獲得、京都と高知の小選挙区で当選し26議席と前進しました。さらに1998年参院選は史上最高の、比例819.5万票(得票率14.60%)比例8選挙区7計15議席を獲得しました。
日本共産党は1月13~16日の第25回大会で、今夏参院選で「比例650万票以上で5議席、東京選挙区で小池晃政策委員長を」の必勝目標を決定しました。日本共産党の党員・後援会員、支持者の力を集め、15年前を再現させる闘いを進めています。
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