不破哲三著「古典への招待(上)」第2講で、マルクス、エンゲルス『ドイツ・イデオロギー』を解説しています。「思想」を唯物論の立場から解明したもの、と感じました。
「社会の支配的な思想とは何か」では「マルクス、エンゲルスは、思想そのものが社会の支配者、と主張する旧来の哲学者の考えを、根本からひっくり返した」と指摘し、原著のあの有名なフレーズ『支配的階級の諸思想は、どの時代でも、支配的諸思想である』を解説します。
原著『彼らは』『諸思想の生産者としても支配し、彼らの時代の諸思想の生産と分配を規制する』を解説し、「現代では」「マスメディアという、現代の『思想の生産と分配』にかかわる巨大な機構の発達、その機構と経済・政治の実権を握る支配的階級との結びつき、その機構を舞台にしての国民意識を支配的階級にひきつけるための大規模な諸活動」はあからさまな現実と指摘します。
さらに不破氏は原著を解説して「経済的な支配者が直接、支配的思想の担い手となるわけではなく」「一種の分業ーー精神的労働と物質的労働との分業がおこなわれ」「一連の専門家たちが支配的な諸思想の担い手の役割を果たす」ことから原著『あたかも支配的諸思想が支配者階級の諸思想ではなく、この階級の力とは異なる力をもっているかのような外観が発展する』としています。
「今の日本では『官から民へ』という"思想”が」「日本の大企業・財界の利益をあからさまに代表するものだが、政治の舞台で問題になるときには、財界の利益との関連などは語られない」と指摘し、「『官から民へ』は経済のグローバル化の下で必然的な方向だとか、官僚主義に侵された日本経済の古い体質を打破する大改革だ、という飾り文句で、それが『社会の共同の利益』を代表するかのような偽装が行われている。これをうちくだき、その階級的な正体を暴露し告発する思想闘争が、国政の舞台で必要となる」と述べています。
さらに支配的思想の盛衰の問題をとり上げ、「現体制を革命しようとする階級は、最初から『社会全体の代表者』として登場し、革命が勝利したのちには、旧体制の支配階級よりも『いっそう広い土台』のうえにその支配を実現する、そういう土台の広がりは、新しい革命の時代が来るたびに累進的にくりかえされる」「こうして、革命は支配的思想が交代する転機となる」と解説します。
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