「普天間の米軍基地撤去、県外または国外移転」という沖縄県民の願いを受けた公約実現が、新政権の試金石としてクローズアップされています。防衛大臣が「グァム(国外)及び岩国(県外)移転は公約の一部」と言い出したのには、驚きと共に「いい言い逃れ」と厳しい批判が巻き起こっています。
グァム及び岩国に加え「辺野古基地新設」という県内たらい回しに、総選挙でノーの審判が下ったのではないでしょうか。アメリカ側は「合意事項の早期履行」で圧力を掛けて来ていますが、それに屈することなく、国民の声をもとに、新政権は見直し再交渉をすべきです。
米軍基地は日本全土に134もあり、その75%が沖縄に集中し、横須賀などを事実上米空母の母港化し、沖縄、岩国には米海兵隊という侵攻作戦の「殴りこみ部隊」を配置するなど、全土を米軍作戦基地化された国は世界中で日本だけです。
なぜこんな不条理が起きるのか。日米安保(日米軍事同盟)締結で、日本がアメリカへの従属を受け入れてきたからです。その歴史は日本が侵略戦争に敗れた時に遡ります。アメリカ軍が戦勝国として日本を占領し、講和条約(沖縄、小笠原を事実上無期限占領する条項あり)締結の数時間後に、吉田茂首相が日米安全保障条約に調印したのです。この半年前国会で、講和後も日本に米軍基地を持ち続けようとしている、と演説した日本共産党川上貫一衆院議員に対して除名処分が強行されました。講和条約・安保条約はアメリカ占領下で、国民に真実が知らされずに結ばれたものです。
1960年岸信介首相は、「自主性」の名で日米共同作戦条項を挿入した安保条約改定に調印しました。これに対して、全国津々浦々で、職場や学園で安保反対闘争が起き、岸内閣は倒れました。
「安保条約(日米軍事同盟)」こそ「押し付け条約」であり、日本が侵略戦争を反省し、憲法を掲げて、独立国として国際社会に復帰することを妨げた根源です。これを進めた吉田首相、岸首相を、それぞれ母方の祖父とする麻生太郎首相、安部晋三首相が、対米従属の自民党政治を歴史的崩壊へと進めたのも歴史の皮肉でしょうか。
しかし、まだ米軍基地と日米安保条約は厳然として存在しています。「米軍基地は要らない」という国民の願いを実現し、「アメリカとの軍事同盟をやめて平和友好条約を」の願いを実現する運動を、いまこそ大きく拡げて行きましょう。