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28日総務委員会では、継続審議中の2つの請願「恒久平和樹立を呼びかける、世界連邦平和都市宣言」及び、「非核平和倉敷市宣言」両請願を採択しました。
私は、両請願は同じ趣旨であり、非核自治体宣言をしている真備町、船穂町と合併したこの時に、核兵器廃絶を明確にした自治体宣言を出すことは、倉敷市平和都市宣言をより明確にするものだ、と主張しました。
「非核」は今や平和の国際的秩序づくりの中心テーマであり、地方自治体の国際交流事業をどうするか、日本国憲法の理念を生かす、テーマになった、と思います。
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田ノ上町内会館落成記念講演会が120余人を集めて開かれ、町内在住の牧野文幸氏(41歳)が「生きるよろこび」と題して、障害者となった体験、「口と足で描く芸術家協会」画家としての活動を話してくださいました。自身の作品を一部紹介し、日本習字教育財団師範となった「口で色紙に書く」実際を見せてくれました。
天城高校2年生の夏、水泳部でスタート練習中にプール底で頭部を強打し、頚椎損傷で首から下がマヒした、と淡々と語ります。自律神経が機能しなくなり、熱い寒いの感覚が無いから体温が34 ℃まで下がっていることがある。逆に38℃に上ったりするので、夏にはアイスが必携だ。起立性低血圧で車椅子の傾斜を時々変えなければならない、など重い障害の状況を客観的に語ります。
牧野氏はきっぱり言います。「障害は変えることが出来ない。しかし、生きるよろこびを感じることは出来る」と。天高校長はじめ先生方や友達の励ましと協力で、1年3ヶ月の入院にも拘らず、1年遅れで卒業が出来た。「みんなと一緒に卒業する」という目標が、生きる喜びになった。
卒業後、何をしたらよいか、アナが空いたような感じだったが、リハビリをしていただいた理学療法士の紹介で、「足と口で油絵を描く」指導をしている先生に習い、面白くて夢中になった。口で描く筆の既製品はなく手作りだが、それも又楽しい。その先生から「足と口で描く芸術家協会」入会を勧められ、自分の絵がポスターなどに使われる喜びを味わった。
お母様と弟さんが介護・補助に来られていましたが、「介護に終わりは無い。介護する人の休息のため、行政がデイケアなどを告知してくれることが必要だ」と牧野氏は訴えていました。
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25日建設委員会で、天満屋から、東ビル改修費が見込みの33.4億円を7億円オーバーするとして、78地権者(倉敷市開発ビルが床の半分を所有)の組合法人に追加負担が要求されていることが報告されました。
これは、すでに1月19日付朝日新聞で報道され、23日付では「古市市長が『どんなグレードの工事にするか、事前の話し合いで判断すべきだった』と述べ、市の持分について支払いに応じる考えを示した」と報じられています。
これまで、東ビル問題で私が問題点を指摘し、改善を求めてきた点は、①倉敷市が床の半分を持つにも拘らず、「民間ビルの問題」として、責任ある市の施策を示していないこと②一括転貸の受け皿会社を倉敷市開発公社としながら、理事長の神田助役を本省へ返した後、副市長をその職に充てていない。③受け皿となった倉敷市開発公社には、市を含む78地権者の利益を守る立場で天満屋と交渉する力を持つ、商業コンサルタントなど専門家配置が必要、の3点です。
倉敷市開発公社の体制を早急に強化し、天満屋言いなりでなく、市民に納得の行く解決を目指すべきです。そして、天満屋出店で期待されている、倉敷駅前の賑わい再生実現への全力投球を強く要求します。
12月議会で私は、地下道・地上・デッキを結ぶエレベーター設置、バス・タクシー・送迎車駐停車場の配置見直し、バリアフリーなどを提案し、当局は「鉄道高架に合わせて抜本的に見直すが、現状で何が出来るか検討したい」と答弁しました。何をしようとしているのか、未だ何も出ていません。
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しんぶん赤旗に1月15日から5回連続で「家のない子を迎える家『家』、「カリオン子どもセンターの今」が載りました。20日14時~15時には、「こころの時代」再放映で、このNPO法人理事長で弁護士の坪井節子氏が登場し、自らの体験を語り、子どもたちとの係わりによる心の遍歴を語りました。
横浜に住む妹夫婦がかつて住んでいた東京都内の家を、児童虐待のシェルターに貸している、と言っていましたが、ここだったのか、と知りました。
ここは、家庭崩壊や虐待、少年犯罪の子どもたちにとって「家」です。傷つき心に深い闇をもつ子ども、誰からも相手にされないで来た子ども、こうした子どもたちと向き合い、育ちあうところ、と坪井氏は語ります。この施設の運営費は会費と寄付が大半で、東京都補助金は3分の1程度だそうです。
倉敷市にある県の児童相談所に、一時保護所はありません。児童養護施設は玉島にあるだけです。昨年四十瀬で起きた虐待死を防ぐことが出来ず、ショックを受けた、と地元の主任児童委員、民生委員から、児童相談所の問題点が訴えられました。子どもの人権を守る問題です。何とかしなければなりません。
投稿情報: 23:37 カテゴリー: 聞いて、聞いて | 個別ページ | コメント (0) | トラックバック (0)
19日、くらしき健康福祉プラザは熱気に溢れました。日本共産党と倉敷市・早島町後援会合同の「新春の集い」が開かれたからです。
栗本泰治後援会会長は開会の挨拶で「情勢を切り開いて、絶対勝つぞ!」と力強く訴えました。
中林よし子元衆院議員が「3度目は必ず勝つ」、東つよし国政対策委員長は「若い力で比例議席奪還」と訴えました。
藤浪四郎日本共産党倉敷地区委員長が、来年1月倉敷市議選候補として、現職5人を公認発表すると、いやが上にも「絶対勝つぞ!」の意気込みが会場に満ちました。
第2部は、邦楽集団「彩響」の太鼓と踊り、秋田・津軽三味線を楽しみ、各地区後援会からの出し物、全員合唱「千の風になって」でフィナーレとなりました。
投稿情報: 00:18 カテゴリー: いま共産党は | 個別ページ | コメント (0) | トラックバック (0)
「瀬戸内のミステリー 沈む島、消えた町」(1984年山陽新聞社刊)では、高潮が福田新田を襲い500人を超える死者を出し(福田千人塚)、さらに鶴新田、玉島乙島・勇崎・黒崎も被害を受けた1884年8月25日の台風災害を、各種記録から再現しています(「福田新田の悲劇」編)。04年台風がこの時と全く同じコースを辿って、大きな被害を与えました。
「狂乱の高梁川」編では、1893年10月14日暴風雨で増水した高梁川とその支流の氾濫で、真備町川辺で死者80人、総社市下原で67人、船穂町又串で7人、中洲地区一円が水没するという惨憺たる状況が描かれています。
その後、上流の砂鉄採掘廃止で土砂流出が減少し河床が低下したことと、1907~1925年高梁川大改修が行われたことにより、堤防決壊が無くなった。しかし、そのために真備町で内水被害が増大した、と記されています。
この本では、福山市の「草戸千軒」のように、瀬戸内各地で「OO千軒」と称される、消えた町を調査し、地震、津波など自然災害を追跡しています。私にとっても、血湧き、胸躍るテーマです。
もう一つが「『倉敷市』を守った市長」(2007年10月25日 手帖社刊)です。1962年三木行治知事による県南33市町村合併の「岡山百万都市構想」に対して、高橋勇雄倉敷市長が反対し、「倉敷市」の名前を残したことを高く評価し、そのドラマチックな経過を再現しています。
「県議会の広域都市建設委員長として『旗振り役』をし、『倉敷』の市名を消す側だった人(大山茂樹元市長)が銅像になって、『消え残った市』の玄関に立っているとはどういうことだろう」「抜け落ちた歴史の部分に、倉敷市の苦悩が秘められ、地方自治や民主主義の重大な出来事が隠されている」として、「当時を生きたジャーナリストとして」証言をしたものです。
大山元市長は、教育行政に力を入れ「よい子いっぱい基金」で評価されていますが、大型事業では、地元大高を副都心にする「大高区画整理事業」が、住民の反対で挫折しました。私は、この住民運動で、政治に係わるようになったのです。
投稿情報: 23:49 カテゴリー: 書籍 | 個別ページ | コメント (0) | トラックバック (0)
11日は、JA岡山西船穂支店を訪ね、小野支店長さんらから実状を聞きました。
極早マスカットは1箱2200円。加温費重油47円/Lで何とかやってきたが、昨年63円/Lとなって農業所得は35%減った。今年90~100円になれば赤字に転落する。二重ビニールや廃熱回収で熱効率をよくしても、春先に急冷した時には加温が要るので、重油高騰を何とかする以外に方法は無い。高値が続けばマスカット栽培を止めなければならない。深刻な状況が訴えられました。
倉敷ブランドになった「船穂マスカット」が危機に瀕しているのです。漁業も、農業も原油高騰で壊滅的打撃を受けることがはっきりしました。倉敷市、岡山県そして政府に、根本的対策を求めていかなくてはなりません。
投稿情報: 16:42 カテゴリー: 議会より | 個別ページ | コメント (0) | トラックバック (0)
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