左上の写真はチボリ以前のクラボウ工場跡地(倉敷市総務局歴史資料整備室所蔵)。チボリ以前のクラボウには緑が多かったことが分かります。左下の写真は2006年12月10日撮影の現在のチボリ公園(石川健児さん(http://www.car-e.net/)提供)。クラボウ工場跡に残っていた緑がチボリ公園の緑として活用されています。
「チボリの緑を残せ」との運動が市長選絡みで展開されていますが、「チボリ以前のクラボウの緑を復活せよ」でなければ話が通じません。契約書ではクラボウへの「原状回復、更地無償返還」です。「原状回復」とは「チボリ以前」即ち「緑の多い工場跡地」に戻すことです。
写真の左上から右下に、クラボウの中を、倉敷用水が流れているのがわかるでしょうか。右の写真のチボリ公園では倉敷用水沿いに移植された木々が繁って「倉敷用水緑道公園」の観を呈しています。
1992年まだチボリが押し付けられる前、クラボウに対して、チボリに貸さないで、倉敷用水沿いの緑道公園を、と訴えたのが、「チボリはいらない万寿学区の会代表」の故鴨川俊作氏(北浜町、元倉敷市職員)でした。この訴えを、今こそ生かすときではないでしょうか。
最近のコメント